本記事は公開されている研究・公的発表に基づく一般的な情報提供です。特定の治療効果を保証するものではなく、医学的助言に代わるものでもありません。数値の解釈や治療方針の判断は、必ず医師にご相談ください。
GLP-1という三文字を、健康診断や治療の話の中で見かけることが増えた。だが、それがそもそも何なのか——薬の名前なのか、成分なのか、それとも別の何かなのか——を、すぐに説明できる人は思っているより少ない。
実験室で新しく合成された物質だろう、と考えている人もいるかもしれない。無理もない。近年話題になるのは、もっぱらそれを応用した薬剤のほうだからだ。ところが、GLP-1の正体は、もっと素朴なところにある。健康な人が普通に食事をとったとき、腸の中で毎回分泌されているホルモンである。
しかも、その存在が疑われ始めたのは、「遺伝子」という言葉さえまだ一般的でなかった二十世紀初頭までさかのぼる。名前がつくよりずっと前から、体の中で何かが起きていることは、当時の医師たちの目にすでに映っていたのである。
この記事でわかること
- GLP-1は健康な人が食事のたびに小腸から分泌されるホルモンで、1906年の仮説から1980年代の遺伝子解析による発見まで80年以上を要した。
- GLP-1は膵臓ではインスリン分泌を後押ししグルカゴン分泌を抑え、胃では内容物の排出を遅らせ、脳では視床下部などに作用して食欲を抑える方向に働く。
- GLP-1がインスリン分泌を促す仕組みは血糖値が高い状態でなければ働かないため、血糖値が低いときには後押ししても分泌の引き金は引かれにくい。
「GLP-1」という物質は、いつどうやって見つかったのか
GLP-1という名前が確定したのは1980年代だが、その正体を疑わせる観察は、80年近く前からすでに記録されている。
1906年、ムーアらは、十二指腸の粘膜が何らかのホルモン様物質を分泌し、それが血糖の処理に関わっているのではないかという仮説を立てた。まだ「ホルモン」という語自体が生まれたばかりの時代である。仮説は仮説のまま、しばらく検証されずに置かれた。
動いたのは1929年である。ツンツとラ・バールは、犬同士の血液を交差させる実験で、上部小腸の抽出物を注射すると、膵臓を介した低血糖反応が起きることを示した。この物質に、ラ・バールは1932年、「インクレチン」という名を与えている。
名前は先に決まった。だが、それが具体的に何であるかを突き止める手段は、当時まだなかった。血中のインスリン濃度を測る技術そのものが存在しなかったからである。この壁が崩れたのは1950年代末、ヤーロウとバーソンが放射免疫測定法を確立してからだった。測定の土台がそろって初めて、1960年代、パーリーとキプニスらは、同じ血糖値であっても、ブドウ糖を口から摂ったときのほうが静脈に直接入れたときよりインスリン分泌が多いことを実証した。腸を経由すること自体に意味がある——これが、のちに「インクレチン効果」と呼ばれるようになる現象である。
では、その物質の正体は何なのか。手がかりが見つかったのは1980年代に入ってからである。ベルらの研究グループがグルカゴンの遺伝子を解析したところ、グルカゴンだけでなく配列の似た別のペプチドがいくつも同じ遺伝子にコードされていることがわかった。そのうちの一つが、のちにGLP-1と呼ばれることになる断片である。1986年から87年にかけて、コペンハーゲンのホルストらのグループを含む複数の研究チームが、この断片——GLP-1(7-36)アミド——を腸から単離し、血糖に応じてインスリン分泌を強く刺激することを次々に確認した。1987年12月には、クレイマンとブルームがヒトでも同じ作用を確認している。名前のない仮説として生まれてから、実に80年以上が経っていた。
食後に分泌されたGLP-1は、まず膵臓で何をするのか
GLP-1が膵臓に対して最初にする仕事は、血糖の状態に応じてインスリンの分泌を後押しし、同時に血糖を上げる方向に働くグルカゴンの分泌を抑えることである。上げる側を抑えながら、下げる側を後押しする——両面からの調整である。
このインスリン分泌の後押し役を担うGLP-1を作っているのは、小腸に散らばるL細胞である。食事の入り口に近い十二指腸に多いと考えたくなるが、実際には密度は小腸の下流へ行くほど高くなり、大腸ではいったん減るものの、直腸で最大に達すると報告されている。分泌されたGLP-1は血流に乗り、遠く離れた膵臓のランゲルハンス島まで届いて初めて仕事を始める。
血糖を下げるのに、なぜGLP-1単独では低血糖が起きにくいのか
答えは、GLP-1がインスリン分泌を促す仕組みそのものに、血糖値という条件が組み込まれているからである。
β細胞の細胞膜には、ATP感受性カリウムチャネルと呼ばれる小さな門がある。小さいが、血糖に応じて開閉する、いわば決定的な門である。血糖値が高いとき、細胞内でブドウ糖の代謝が進み、ATPとADPの比率が変わって、この門が閉じる。門が閉じることで細胞膜の電位が変化し、それが引き金となってインスリンが分泌される。GLP-1は、細胞内のcAMPという物質を介して、この門を閉じやすくする方向に後押しする。
ただし、この後押しには条件がある。門が閉じる反応自体が、血糖値がある程度高くADP濃度が下がっている状態でなければ起こりにくい。血糖値が低いときには、GLP-1がいくら後押ししても、門は閉じにくい状態にとどまる。GLP-1は、インスリンという弾を「撃ちやすくする」役目は果たすが、弾そのものを作るわけではない。血糖が低いところに撃鉄だけを持ち込んでも、何も起こらないというわけである。
※ ここで説明しているのは、体内で自然に働くホルモンとしてのGLP-1の性質である。すでに糖尿病や肥満症の治療を受けている方、血糖を下げる薬を服用中の方は、体感の変化や薬の使い方についての判断を、この記事の内容だけで行わず、必ず主治医に相談してほしい。
胃と脳では、GLP-1はどう働いているのか
胃に対しては内容物の排出を遅らせ、脳に対しては食欲を抑える方向に働く——これが、GLP-1が膵臓の外で担っているもう二つの役割である。
食べたものが十二指腸へ送り出される速度、いわゆる胃排出が遅くなれば、その分だけ糖の吸収も緩やかになる。働きかける先は、消化管の中だけにとどまらない。脳に対しては、視床下部や扁桃体に作用して食欲を抑える方向に働くことが報告されている。経路の一つとして、脳幹の孤束核がGLP-1を介して視床下部の室傍核を活性化し、満腹感につながるという神経回路も示されている。
膵臓・胃・脳——三つの標的に共通しているのは、どれも「食後に体へ入ってきた糖を、どう処理するか」という一つの問題に対する、別々の切り口からの答えだという点である。膵臓の反応は糖そのものの処理、胃の反応は糖が届く速度の調整、脳の反応は次に何をどれだけ食べるかの調整に当たる。
もっとも、この働きが体の中で持続するのは、ごくわずかな時間に限られる。分泌されたGLP-1は、DPP-4という酵素によってすぐに分解され、血中の半減期は2分ほどしかない。効果が立ち上がっては消え、食事のたびにまた立ち上がる、というごく短い周期を繰り返している。
まとめ
冒頭の疑問に戻ろう。GLP-1は、研究室で新しく作られた物質ではない。健康な人が食事をとるたびに、小腸から出て、膵臓・胃・脳という三つの場所に数分単位で働きかけては消えていく、ごくありふれたホルモンである。血糖を下げる方向に働きながら、血糖が低いところでは働かない——この一点だけで、GLP-1が単なる「血糖を下げる物質」ではなく、条件に応じて仕事を選ぶホルモンであることがわかる。名前が確定するまでに80年以上かかったこの物質の正体は、思っていたよりずっと身近なところにあった。
よくある質問
GLP-1は薬なのですか、それとも体の中にあるものなのですか?
GLP-1そのものは、健康な人の体内で食事のたびに分泌されているホルモンである。治療の文脈で語られるGLP-1受容体作動薬と呼ばれる一群の薬剤は、この天然のホルモンの構造をもとに、DPP-4による分解を受けにくいよう改変して設計されたものであり、体内で分泌される天然のGLP-1そのものとは別の分子である。
GLP-1はどこで作られているのですか?
主に小腸に分布するL細胞と呼ばれる細胞で作られる。L細胞は小腸全体に広がっているが、密度は小腸では下流ほど高く、大腸でいったん下がったのち直腸で最大になるという分布が報告されている。
GLP-1が分泌されると、低血糖になりやすいのですか?
そうとは考えられていない。GLP-1がインスリン分泌を後押しする仕組みは、血糖値がある程度高い状態でなければ働きにくい構造になっている。血糖値が低いときには、同じ後押しの信号があっても、インスリン分泌の引き金は引かれにくい。この血糖依存性が、GLP-1単独では低血糖のリスクが低いとされる理由である。
GLP-1と満腹感には関係がありますか?
関係があると報告されている。GLP-1は視床下部などの脳の部位に作用し、食欲を抑える方向に働くことが知られている。ただし感じ方には個人差があり、体重の変化そのものを保証する記述ではない点には注意が必要である。
出典
- Jens Juul Holst, “From the Incretin Concept and the Discovery of GLP-1 to Today’s Diabetes Therapy,” Frontiers in Endocrinology, 2019 — https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6497767/
- Drucker DJ, Habener JF, Holst JJ, “Discovery, characterization, and clinical development of the glucagon-like peptides,” Journal of Clinical Investigation, 2017 — https://www.jci.org/articles/view/97233
- Silvano Paternoster and Marco Falasca, “Dissecting the Physiology and Pathophysiology of Glucagon-Like Peptide-1,” Frontiers in Endocrinology, 2018 — https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6193070/
- A. R. Meloni, M. B. DeYoung, C. Lowe, D. G. Parkes, “GLP-1 receptor activated insulin secretion from pancreatic β-cells: mechanism and glucose dependence,” Diabetes, Obesity and Metabolism, 2013 — https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3556522/
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